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椅らば大樹(18)

真田山旧陸軍墓地のクス

 「大坂の陣」のヒーロー・真田幸村が築いた出城「真田丸」は現在の宰相山あるいは真田山だったといわれています。その場所はどこか?、となるとちょっとハッキリしません。いちばんわかり易いのは「三光神社」でそこには真田の抜け穴跡があり、真田幸村の雄々しい銅像が立っています。神社の北側には「宰相山公園」、神社の南西には「真田山小学校」、その南に「真田山スポーツセンター」があり、その南はグラウンドと野球場を含む「真田山公園」があります。これら一帯が真田丸だったのか、そうではなかったのか?
江戸時代の地図や、大坂の陣がらみの文献を見ながら現地を歩いて見ますと、三光神社に隣接する高台にあるのが写真の「真田山旧陸軍墓地」でした。1614年慶長19年の冬の陣でこの真田丸に突撃した寄せ手のうち松平忠直隊480騎、前田利常隊300騎、雑兵あわせると死者その数を知らず、、、と言う死屍累々の地、それがこの場所でした。江戸時代の間、真田丸の跡地は未利用のままだったらしく思われます。明治の新政府になってから大阪城付近一帯が第八連隊の駐屯地になり、明治10年西南戦争、明治27年日清戦争、明治37年日露戦争のつど戦死者が埋葬され、墓碑4,800余柱、納骨堂に納骨43,000余柱が祀られているとのことです。太平洋戦争敗戦後「陸軍」が無くなり、いわば無縁墓地のようになっているのがいかにも無常と思われます。
 ちなみに大坂の陣の真田丸は三光神社と旧陸軍墓地と真田山小学校ぐらいのエリヤで、宰相山公園は当時の「空堀」、スポーツセンター、真田山公園は真田丸の前面にオトリとして使われた「篠山」だったと言うのが私の判断です。

2010/02/05